女の人差し指
『女の人差し指』向田邦子
“人間同士なら、抱き合い、それこそ、互いの骨のきしみが聞えても、嬉しくなりこそすれ、ギャアといって尻餅をつくことなどないのに、人間が人間の骨におびえている。 人はどうして、人の骨が怖いのであろうか。 骨が怖いのではなく、死ぬのがこわいのかも知れない”
“男女は同権とかいわれるけれど、女がハンドバッグを抱えて歩いている間は、ほんの半歩だが、男よりうしろを歩いている気がする。 格別の理由はないのだが。”
“この頃の私の財産は健康と好奇心だけでありました。”
『阿修羅のごとく』『寺内貫太郎一家』など、数々の名作ドラマを生み出してきて向田邦子は間違いなく日本を代表する脚本家なのだけど、私にとってはエッセイの神様なのである。
小学生の頃、脚本家だった(今も細々と現役だけれども)祖父から、「作文のお手本にしなさい」ともらったのが、向田邦子代表作『父の詫び状』だった。
些細な日常を気取らず、友人に話すかのような書き出しで語り、そして最後にはしんみりとした人生の悲喜こもごもで締めくくる短いエッセイは、まさに美しく簡潔な文章の最終形態だと思う。
いつの時代も色あせない、という表現はあまりにも手垢にまみれているけど、まだまだ女性が働くことが「女だてらに生意気だ」と言われていた時代に書かれたとは思えないほど、彼女のエッセイは私たちの感性に馴染む。
ファッション誌が教えてくれない、地に足着いた女性の生き方が、この作品の中にはあるんじゃないかと思う。
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